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「八事に落とされた原子爆弾 」<大連へ到着>山本裕道著

  • 大連へ到着

 九月の終わりか十月の初め頃、やっと大連に着きました。大連からは船に乗り内地を目指しました。船は大砲などの設備を取り外した元軍艦でそれほど大きくはありませんでした。当然客室はなく、船倉にぎゅうぎゅう詰めになって海を渡りました。

 博多に着いて上陸したとき、どこかの建物に案内され、そこで五目御飯を食べさせてもらえました。チャムスの家を慌てて出発して以来、本当に久しぶりのご飯でとてもおいしかったことを覚えています。

 博多駅からは夜行列車に乗り、父母の実家のある豊橋をめざしました。うとうとしていたところ、車内放送で関門トンネル通過という車掌さんの声が聞こえました。夜中の事でもあり、関門トンネルが何のことかわかりませんでした。

 汽車が広島を通過したのか、日本海側の線路を通ったのかわかりませんが、広島を通過したとしても夜間だと思います。広島の惨状を目にすることはなく、翌朝、豊橋駅に到着しました。

 駅ではふかしたサツマイモが振舞われました。チャムスを退去してから、初めて口にした甘い食べ物で、大変おいしかったことを覚えています。それがその後しばらくの間、主食になるとは思いもしませんでした。 

 駅から見る風景は、焼け野原に瓦礫の山が積み上がり、その間に掘っ立て小屋が立っているだけでした。父母の実家は両方とも空襲によって焼失していました。豊川海軍工廠の北側にあった帰国者のための施設があるということで、そこへ入居することになりました。

・・・・・<ピンポイント攻撃から無差別攻撃へ・今も残る爆弾によって傷ついた社務所の柱>へつづく

2021/04/19


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