正しく恐れる
新型コロナの国内での感染が広がりつつあった頃、「正しく恐れる」という言葉がよく使われていました。その後はあまり聞かれなくなりましたが、それでもたまに耳にすることがあります。この言葉2011年の東日本大震災での原発爆発事故の時も、放射能に対して使われていました。
正しく恐れるという表現に、ずっと違和感を感じていたので改めて調べてみると、「天災は忘れた頃にやってくる」の名言で知られる物理学者・寺田寅彦の随筆の中に出てくる文言です。しかも正確には「正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」であって「正しく恐れる」ではないそうです。
正しく恐れる、というのであれば、「正しくない恐れ」「不正確な恐れ」というものがあるのでしょうか。恐れとはおそれること、恐怖(広辞苑)のことです。恐怖は恐ろしく感ずること、またその感じ(広辞苑)です。
正しい恐怖感っていったい何なのでしょう。例えば幽霊あるいは得体の知れないものに突然出会ったとします。幽霊を信じない人であっても、いきなり目の前に現れたものに驚いて声をあげてしまうでしょう。そんな時「恐れなくてもいい」とか「怖がることはない」という人はいたとしても、「正しく恐れなさい」「正しい恐怖感を持ちなさい」などという人はいないでしょうね。
正当は正しく道理にかなっていること(広辞苑)です。反対の不当は道理にかなっていない事となります。寺田寅彦のいった「正当にこわがることはむつかしい」というのは「怖がり過ぎたり、怖がらなさすぎる」ことが難しいという意味です。どう考えても「正しく恐れる」という事にはならないはずです。
「正しく恐れる」にはむしろ「それほど恐れることはない」というニュアンスが感じられてしまいます。