普通の生活

コロナのおかげで生活が様々な形で変わってきました。コンビニへ入ったり、町を歩いても、電車やバスに乗っていても、誰もがマスクをしています。宅配や郵便の配達をする人も皆マスクをしています。飲食店の入店者が減り、リモートやらで家で仕事をする人も増えているそうです。そうした中、テレビでは「コロナ前の普通の生活に早く戻りたい」とインタビューに応える人をよくみます。

でも、普通の生活って何だろうと思いませんか。もっと言えば、コロナが流行する前というのは、どのくらい前を指しているのでしょうか。よくよく考えてみると、「コロナ前の生活」には良いこともあれば悪いこともあったはずです。楽しいことも嫌なこともあったはずです。「アーア、毎日毎日こんな生活ばかりで嫌になっちゃう。たまにはどこか温泉にでも行ってのんびりしたい」とか「今日は憂さ晴らしに一杯飲もう」と思ったこともあるはずです。それが「普通の生活」だったはずです。でも、嫌なこと良くなかったこと全てひっくるめて以前の生活に戻りたいとは思わないのが「普通」でしょうね。つまり、嫌なこと、よくない事を除いたのが「以前のような生活」なのです。

「コロナ前」というのも、1年前なのか5年前なのか、あるいはもっと前のことなのでしょうか。例えばこれまでの数年間を思い出してみると、仕事や生活面で色々な変化があったはず。今ではスマホを使う事が「普通」になっています。でも、10年前、20年前はスマホが使えることは普通ではありませんでした。他にも身近な変化にはネット通販や花粉症に罹る人の増加などもあります。

「普通」というものも常に変化し続け1年前の普通は今の普通ではなくなり、今の普通はこの先もずっと普通ではないのです。コロナの中で様々な事が変化しましたが、それによって変化したことが、これからは「普通」になるのかもしれません。

2021/01/21

正しく恐れる

新型コロナの国内での感染が広がりつつあった頃、「正しく恐れる」という言葉がよく使われていました。その後はあまり聞かれなくなりましたが、それでもたまに耳にすることがあります。この言葉2011年の東日本大震災での原発爆発事故の時も、放射能に対して使われていました。

正しく恐れるという表現に、ずっと違和感を感じていたので改めて調べてみると、「天災は忘れた頃にやってくる」の名言で知られる物理学者・寺田寅彦の随筆の中に出てくる文言です。しかも正確には「正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」であって「正しく恐れる」ではないそうです。

正しく恐れる、というのであれば、「正しくない恐れ」「不正確な恐れ」というものがあるのでしょうか。恐れとはおそれること、恐怖(広辞苑)のことです。恐怖は恐ろしく感ずること、またその感じ(広辞苑)です。

正しい恐怖感っていったい何なのでしょう。例えば幽霊あるいは得体の知れないものに突然出会ったとします。幽霊を信じない人であっても、いきなり目の前に現れたものに驚いて声をあげてしまうでしょう。そんな時「恐れなくてもいい」とか「怖がることはない」という人はいたとしても、「正しく恐れなさい」「正しい恐怖感を持ちなさい」などという人はいないでしょうね。

正当は正しく道理にかなっていること(広辞苑)です。反対の不当は道理にかなっていない事となります。寺田寅彦のいった「正当にこわがることはむつかしい」というのは「怖がり過ぎたり、怖がらなさすぎる」ことが難しいという意味です。どう考えても「正しく恐れる」という事にはならないはずです。

「正しく恐れる」にはむしろ「それほど恐れることはない」というニュアンスが感じられてしまいます。

2021/01/07

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